地蔵峠から

  堂髑山(ドウドコ山)
         (標高721.7m)


              平成18年3月25日(土) 快晴
黒滝村鳥住から望む堂髑山
  先日(3月21日)鳳閣寺から正面に見えた山(堂髑山【別名:般若寺山、清水山】)に登ろうと再び地蔵峠へ。堂髑山の髑は髑髏(どくろ)の髑という字が当てられている。珍しい山名で興味深い。堂髑山へは下市町広橋の清水(きよみず)集落からも登れるそうだが、地蔵峠から登り清水集落へ下りるコースを辿る。
  地蔵峠に車を置き、地蔵さんにお参りしてから地蔵堂の左横に付いている登山道に入る。目立たない山への道にしては比較的広く、整備されている感じで正直意外だ。周りは杉の植林帯でぐんぐん登って行く。
 
  尾根まで登ると、杉から桧の植林帯に替わる。しばらく歩き易い登山道を進むと、携帯電話の中継アンテナ施設があり、平坦な道になる。アンテナ施設からも幾分道幅が狭くなるがしっかり付いている。右側に鳥住の集落が百貝岳の中腹に張り付くように見える。背後には大峰山脈の大天井ヶ岳、山上ヶ岳や稲村ヶ岳が白く見える。 
  ルートには道標などは一切見当たらなかったが、途中から木の切り株に随分以前に巻かれた感じの赤いテープを見るようになった。ガイドブックや地図にルートが載っていない山だが、この地味な山にも登る人がいるようだ。
  堂髑山に近付くにつれて、赤いテープが新しくなっていくようだ。山によっては、テープだらけの賑やかな登山道もあるが、この山は必要最少限で適当な距離をおいて巻かれており、静かな自然を乱さない感じで良い。北方向が開けた所からは金剛・葛城山から龍門山塊、大和盆地や下市方面が見渡せる。この展望も数年後には若い桧が成長し、展望が望めなくなることだろう。
   2つ目のピークでは間伐された桧がそのまま登山道を塞ぎ、分かりにくかったが、3つ目のピークが堂髑山の山頂で三等三角点が埋まっている。予想したとおり展望はなく、登山同好会が樹に架けた小さな山名プレートがあるだけのひっそりした山頂だ。今日も何処かの山で材木のヘリ出しをしているのか、ヘリの音がしている。時間も余り経ってないため、そのまま広橋の方へ下ることにした。
 
 下り始めて直ぐに高圧線の鉄塔が建っており、南方に雪を頂いた弥山や釈迦ヶ岳が望める。広橋からの登山道の方が歩かれているようで、しっかり道が付いている。徐々に前方(北方)が開けて来て、山里に近付いている雰囲気だ。畑や小屋が現れ、地元の方か、農作業をしている。人の気配で白っぽい犬がこちらを向いて吠えている。道の周囲はすっかり槇山に替わり樹齢何十年もの立派な槇の木が山全体に植えられている。広大な槙山を抜けやがて清水の最奥の民家の横に下り立った。実に眺めの良いところである。この清水地区には有名な歌人、前 登志夫氏の住まいがあり、以前先生は、「神々に一番近いところ」とおっしゃっていた。確かに正面に見る広橋山や神南備山栃原岳がここからは低く見える。
 
 行 程

    地蔵峠 ⇒アンテナ基地 ⇒ 堂髑山山頂 ⇒ 広橋清水集落
     (9:50)   (10:00)      (10:37)      (11:07)

       広橋清水集落 ⇒ 高圧線鉄塔(昼食) ⇒ 堂髑山山頂 ⇒ 地蔵峠
        (11:10)      (11:34〜12:42)      (12:46)   (13:32着)
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地蔵峠(黒滝村鳥住)
地蔵堂の左脇の登山道を登る
地蔵峠からの登り道
携帯電話会社のアンテナ
鳥住集落とその背後に聳える百貝岳
登山道中間点の桧の植林地から北方に龍門山塊が見渡せる
堂髑山山頂 (標高721.7m)
三等三角点
  このまま今満開の広橋梅林に下りたいが、車を地蔵峠に置いてあるので、引き返すしかない。また来た道を戻る。堂髑山山頂は展望がないので、展望の利く山頂手前の鉄塔の脇で昼食にする。
  弥山や釈迦ヶ岳は大峰を代表する山で見飽きない。眼下に粟飯谷の民家や右手に長瀬の集落の一部が見える。先日の百貝岳は夕方から宿直勤務を控えていたため山中でゆっくりできなかったが、今日はゆっくり出来る。食後枯れ草の上でごろ寝をしてひと時時間を忘れる。好天気と春うららかな陽気、FMラジオから流れる歌謡曲が心地良い。
 地蔵峠に戻り、先日鳳閣寺から眺めた堂髑山をもう一度見たくて再び鳳閣寺へ登る。展望を眼に焼き付け帰路に着いた。
民家の横に下りてきた
清水集落(正面右に栃原岳が見える)
鳳閣寺から堂髑山を望む(右側に金剛・葛城山)
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