貝 吹 山
標高210m(橿原市最高峰)
平成18年4月9日(日) 快晴
橿原市の山と言えば大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)を直ぐに思い付くが、橿原市の最高峰「貝吹山」を知る人は少ない。標高僅か210.3mの里山で山登りと言うには憚るが、今回は山の会の4月例会で明日香地方の古墳をめぐり、コースの最後に貝吹山へ登ることになった。
マルコ山古墳は2段になった円墳で、地元の方が朝から古墳周辺の草刈をされた直後だった。古墳からは高取町や明日香村ののどかな風景が広がり、展望は申し分ない。しばし休憩した後、再び集落の中を進むと佐田地区の民家の外れに春日神社へ標識があり、鳥居のある石段を上ると、神社の本殿とその右手に
束明神古墳があった。
この日の朝は快晴、春爛漫の花見日和だが、黄砂で遠い山々は霞んでいる。
白橿ニュータウンのAコープ前を8時に出発。参加者は下山後の焼肉会の準備班を除く57名。
ニュータウン端の山際を登ると
益田岩船の巨石が突然目の前に。何の目的で作られたのか分からないが、飛鳥地方によくある石造物の一つと言われている。以前はこの岩の上から街並みなどがよく見渡せたが、今は竹が茂って視界が狭くなって来ている。ここから山道を南下し竹林を通り抜け、里のどかな風景を見ながら進むとほどなく
牽午子塚古墳に着いた。真弓丘陵の一画に位置し、比較的小型の規模の横穴式石室の円墳で、玄室が覗き込める。
暫し戻って、更に南下する。高取高校が正面に見え、地の窪の集落を抜けると真弓の高台に
マルコ山古墳が現れた。
束明神古墳から石段を一旦下り、竹やぶを登り山道を下ると与楽の集落へ。、暫く集落の中を歩く。
まもなく正面に飛鳥病院、右手に貝吹山が見えてきた。飛鳥病院の前を通る車道を渡ると、古墳の石室が南側に開いた
乾城(カンジョ)古墳が現れた。墳丘は半分近く削られているが実に大きな石を詰んで作られた立派な玄室で、やや小さい石舞台の玄室の感じである。
古墳を見学した後、少し戻り三叉路を右に折れると貝吹城址への登り口。
此処も竹藪の中の登り坂で、暫く急登が続く。周りは荒れた竹やぶからやがて雑木に変わり傾斜も緩くなるとほどなく山頂に着く。山頂には「貝吹山城址」の碑と三等三角点が埋まっていて、東側にニュータウンや天の香具山が雑木の合間から望める。貝吹山城は南北朝時代、豪族越智氏が築いた城で簡単な堀と土塁で作られていたらしいが今はその遺構は全く見られない。下りはそのまま北方へ進み、急な岩場を慎重に下ると、白橿ニュータウンの外れ(南妙法寺町)の小谷公園に着いた。公園の直ぐ傍に小谷古墳が見える。公園の中は、桜が満開で、東屋もあり、集うには実に良いところである。
行 程
白橿ニュータウン⇒益田岩船⇒牽午子塚古墳⇒マルコ山古墳(休憩)⇒乾城古墳⇒
(8:03出発) (8:17) (8:36) (8:58) (9:37)
⇒ 貝 吹 山 ⇒ 小谷公園 (昼食) ⇒ 白橿ニュータウン
(10:28〜10:45) (11:03〜13:10) (13:20着)
参加者67人の記念写真 (小谷公園にて) <撮影:山の会 Y.O氏>