高取山 
(高取城址) 標高583.9m             


    平成19年4月15日(日)晴れ




  高取山は竜門山塊の支綾上にあり、奈良盆地と吉野地方を分けるように横たわる標高583.9mの山で、山頂には日本三大山城に数えられる高取城址がある。

  主な登山ルートは、近鉄吉野線壺阪山駅から土佐の城下町を通り上子島集落から登るコースや西国33所霊場壺阪寺から五百羅漢を経て七つ井戸から本丸(山頂)に登るコース、明日香村栢森から猿石を経て山頂に辿るコース、芋峠から尾根道を辿るコースで、どのコースも健康ハイクに良く、道も整備されている。

  今回は、上子島から猿石を経て山頂に登り、下りは猿石から明日香村のキトラ古墳近くの大根田集落に下りるコースを選んだ。


  壺阪山駅から国道169号を渡り旧土佐街道を進む。城下町の家並みが続くが、家老屋敷を過ぎた辺りからのどかな風景の上小島集落に入る。右手の川傍に水車小屋が見え、更に進むと左手に砂防公園がある。


         


  ここから緩い坂道になりやがて舗装路が地道に変わる。舗装が切れた所が高取山への取り付きで、山の中に入って行く。辺りは杉の植林帯で薄暗いが、道は枝道もなく迷う事はない。

  七曲、一升阪と呼ばれている急な坂を登って行くと、途中に岩屋不動への案内板が立っている。距離は120mとある。時間に余裕があるので寄って見る。
  不動、文殊、役の行者の三体の石仏が祀られいて周囲は深い木々の中である。ふと見ると、石仏の横手に道が奥に延びている。「山頂へ続いているのでは」と登って行ったが、徐々に道が不明瞭になり、途中で引き返す。
 枯れた大木の根が大きな岩を包むように巻いている。先ほどの道標に岩屋不動と記されていたのでその岩屋かもしれないと、足場が悪いが反対側に回り込む。予想どおり岩の中に仏像が掘り込まれている。かなり古いようで風化が進んでいる。
  元の三体の石仏の所まで戻り、汗がひくまでしばし休憩を取る。静かで野鳥の声だけが聞える。


         
  
  元の登山道まで戻り5分ほど登ると猿石がある明日香村栢森への分岐に着く。
  猿石は明日香村の欽明天皇陵近くの田んぼから他の猿石と共に掘り出された石像物の一つで、築城時にここへ運び上げられたようだ。ユーモラスな顔で、なんとも愛嬌がある。直ぐ近くが二の門跡でこの辺りから石垣が現れる。

  5分程登ると国見櫓への分岐。国見櫓からは高取町、明日香村、大和三山やその向こうに葛城山、二上山が一望できる。

  宇陀門跡、千早門跡を通ると立派な石垣が次々と展開する。

  高取城は南北朝時代に越智氏がかきあげ城として築城したもので日本一の規模の山城と言われている。今は石垣だけが残っているのみだが、幾重にも重なる石垣群が往時を忍ばせる。



          
          
 

 大手門から十三間多門跡、十五間多門跡を通ると城の核心部に入った印象で、本丸を中心した大規模な石垣群に圧倒される。 明治の初期まで山頂の本丸には天守閣が建っていたが、今は三等三角点が埋まっているのみである。本丸跡からは吉野大峰山系や高見山、大和平野の南部が見渡せる。今日は晴れてはいるが春霞みで遠くの風景は見えにくかったが、吉野山の上千本辺りの桜は満開のようで白く霞んで見えていた。
  高取城跡の桜は既に盛りを過ぎ、季節の早さを感じる。春や秋の休日は中高年の団体登山者で賑わう山頂だが、この日は4〜5組の夫婦が訪れているだけで静かである。

  


二の門跡

宇陀門跡

宇陀門跡

千早門跡

大手門の手前

十三間多門跡
  

十三間多門跡

太鼓櫓跡

天守閣の石垣

本丸からの太鼓櫓
 
      

 帰りは、一旦猿石まで戻り、分岐を明日香村の栢森方向へ折れる。この道も歩きやすい道だが、上子島からの登山道や壷阪寺からの登山道に比べ、歩く人は少ない。実際、この帰り道ですれ違う人は誰一人いなかった。
  広い竹林を抜け、植林帯をどんどん下るとこのルートにも敵が攻めてきたら橋を落として道を遮る戦術上の橋の跡が残っている。足元にはシャガの花が咲いている。
  右手に丹生谷や冬野の集落が望める所まで下ると、大根田への分岐はもう直ぐである。分岐には大根田、キトラ古墳への道標が立っている。最近あまり歩かれていない道のようだが、道はしっかり付いている。所々でブッシュ気味の荒れた場所があるが、道なりに進めばやがて舗装された林道に下りた。
しばらく道なりに林道を下ると3段になった貯水池が現れ、その先に大根田の集落が見えてきた。
  この集落には立派な家構えの旧家が多い。のどかな山村風景を見ながら集落の一本道を下ると、桧前(ひのくま)寺跡近くの広い車道に合流した。
  左(南方向)に折れ、キトラ古墳を左に見送り、更に広い車道を6〜7分歩けば壺阪山駅である。
 
 





   
高取城跡(高取町観光案内から)

 

 高取山(583.9m)山頂に築かれた典型的な山城。南北朝以来、越智・本多・植村各氏の居城。越智氏の時代(1583まで)はカキ上げ城で、本城は貝吹山城であった。その後郡山城主となった豊臣秀長の命を受け、天正13年(1585)に本多氏が入城。近世的城郭として整備がはじまった。本多氏が絶えた後、譜代大名の植村家政が寛永17年(1640)に入城。以来、植村氏は高取藩主として幕末(1868)まで続いた。高取城は、城内と郭内に分けられる。城内は約10,000・、周囲約3km。郭内は約60,000・、周囲約30kmという広大なもので山城としては日本一であろう。(国史跡)
(日本三大山城:高取城、美濃の岩村城、備中の松山城)



              

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