大和三山を登る

 天香久山 畝傍山 耳成山



                  平成20年3月21日(土)快晴



  大和三山は、大和盆地南部に点在する天香久山(あまのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)の三つの山を総称して大和三山と呼び、平成17年7月14日に国の名勝に指定された。
   

  万葉集では「香久山は 畝傍を愛(を)しと 耳成と相争ひき神代より  かくにあるらし  古昔も然にあれこそ  うつせみも嬬を争ふらしき」と歌われている。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌であるが、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説もある。一般には香久山と耳成山が男の神、畝傍山が女の神とされる。


     
天香久山 (標高139.7m)                 畝傍山 (標高199.2m)                 耳成山 (標高152.4m)


  有名なこの三山は、私の家から最も近くにある山であるが、これまで1度しか登っていない。良い天気に誘われ久しぶりにウォーキングのつもりで出かけることにした。




耳 成 山 (標高139.7m)


   耳成山は死火山で、大和三山の中で一番低い山だが、三山の中では最も綺麗な形をしている。元はもっと高かったそうだが、盆地の没落で沈下し、山の頭部が地上に残された単調な円錐形で、人の頭にたとえれば耳が無いような形だったので、耳無し山から耳成山と呼ばれるようになったと云われている。
   耳成山へは、近鉄大和八木駅からと近鉄耳成駅から歩くルートが一般的だが、今回は耳成駅から歩くことにした。




     
近鉄大阪線耳成駅                   米川の架かる橋から見る耳成山                    耳成山登山口


  
  駅の改札口から踏み切りを渡り、次の交差点で西方向へ歩く。米川に架かる橋辺りから、山というよりはこんもりした森のような耳成山が右前方に見える。程なく古池と桜並木で知られる耳成山公園に着く。登山口には案内板が設置されていて、右方にやや戻るように登る道が付いている。頂上へは山腹を一回りして山頂に至る周遊コースと、鳥居を潜って耳成山口神社への参堂道を登る2つのコースがあり、どちらを選んでも山頂に至る。登りを参道コースを、下りを周遊コースを歩くことにした。
 


         
登山道 (耳成山口神社参道)                         山頂 (奥に三角点が埋まる)


  鳥居から石灯篭が並ぶやや急な参道を約10分で、耳成山口神社境内に入る。拝殿の左側に周りると、周遊コースと合流する。ここから真っ直ぐに山頂に延びる登山道を進むと平らな山頂に辿り着く。三角点が埋まる山頂には木製のベンチが設置されているが、周囲は木々に覆われていて展望はあまり利かない。
 下りは一旦元の道を神社まで戻り、右回りに下る周遊コースを歩く。傾斜はいたって緩やかで、ジョギングやウォーキングをされている人とすれ違う。木々の合間から畝傍山が見える。耳成山を一周すると登山口の鳥居に戻り、公園に下り立つ。登山というよりウオーキングと言った方が良いかも。今日は快晴の良い天気で、公園では大勢の家族連れで賑わっていた。



天 香 久 山  (標高152.4m)


  持統天皇の有名な歌、「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香久山」(持統天皇)。

  天香久山は、他の二山と違って火山ではなく龍門山塊の一部から延びた尾根が、長い年月の中で浸食され、香久山の部分だけが残った山である。古い書物には、天から降ってきたという伝承が残る。大和三山の中で最も神聖視された山で、山頂の国常立神社
(くにとこたち神社)には国常立神と竜神が祀られ、山麓には天の岩戸神社や天香山神社が鎮座する。山容は一番目立たない山だが、三山中、最もよく知られている山である。

  耳成山公園から南へ近鉄大阪線の踏切を渡り、更に国道165号を越えると右側に藤原宮跡を見る。藤原京は、西暦694年に飛鳥浄御原宮から遷都され、わが国初の都市計画された本格的な都であった。今は大極殿(だいごくでん)の土壇が残っているだけで、周辺は史跡公園になっている。藤原宮跡の6割ほどが国の特別史跡に指定されており、藤原宮及び藤原京の発掘調査が続けられている。


           
  藤原宮跡の大極殿跡と背後に見える耳成山                奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部資料室
 

  藤原宮跡から少し東へ歩き、四辻で再び南下すると、奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部資料室の大きな施設が建っていて、天香久山へは次のT字路を左に折れる。T字路には駐車車場と休憩所を兼ねた公衆トイレがあって分かりやすい。


   
 香久山への進入路                     国見台跡から見る畝傍山                   万葉歌碑が立つ登山口


  天理教の建物の横を登り、林道と交差する所が国見台跡で畝傍山や耳成山、大和平野が眺められる。
ここには舒明天皇の歌った万葉歌碑が立っていて休憩地に良い。
  いよいよここから山に入り、整備された階段状の山道を登る。周囲は樹木に覆われ変化は無いが、天の岩戸神社分岐から左に折れるとすぐに山頂に着く。
 


         
整備された階段の登山道                              天の岩戸神社分岐を折れると山頂へ


  山頂には国土と雨の二神を祀った社が鎮座している。向かって左側が、日本国土形成の神様国常立命を祀った国常立神社(くにとこたちじんじゃ)、右側が雨を司る竜神、タカオカミノカミを祀った高オカミ神社である。頂上は展望は無いが、西側が僅かに開け、畝傍山が見える。


         
 天香久山山頂(標高152.4m)                        山頂に鎮座する国常立神社


  山頂から、道標に従い直進すると、万葉の森に入って行く。いろいろな木々が植えられているが、今、ヒカン桜が花を付けていた。所々に歌碑が立てられ、散策を楽しむには良い所である。山裾を半周して南側の天岩戸神社へ、そして北方に歩き天香山神社に詣る。


    
万葉の森                          天岩戸神社                         天香山神社


  香久山だけが「天」の字を冠する。天
(高天原)から降ってきた山との伝承があり、大和三山のなかでも、とりわけ神聖化された山である。






畝 傍 山  (標高199.2m)


  大和三山の中で最も高い山で、耳成山と同じく死火山である。畝傍山の東部裾野に神武天皇陵、南西部に安寧天皇陵、南部にイトク天皇陵、南東部に橿原神宮があり、これら一帯は広大な森が広がり、荘厳且つ深閑とした雰囲気を湛えている。


            
県立橿原体育館前の裏参道                          東大谷日女命神社前を直進

 

  耳成山から真西に向かい、国道169号、近鉄橿原線を越えると橿原神宮の森に着く。畝傍山へは県立橿原体育館の前から神宮の森に延びる裏参道を約100mほど入った所の右側に登山口の案内板があり、案内板に従って右に折れる。しばらく地道を進むと東大谷日女命神社(ひがしおおたにひめのみことじんじゃ)の鳥居がある。
  鳥居を右に見送りそのまま直進すると畝傍山の西の山腹を巻くように緩やかに登る登山道となる。北端で右側の直登コースを登る。山頂へのエスケープルートのようである。急な登り坂が続き、早足で登ると息が上がってくるが、緩い巻き道より短時間で登れる。
  頂上近くで先ほどの巻き道ルートと合流して、そのまま直進すると頂上の広場に着く。木製ベンチには何人かのハイカーが休憩していて、公園のような雰囲気である。西側の展望が開け、葛城山と金剛山が望める。三角点は広場の北側にあり、眼下に橿原市の街並と、先ほど登って来た耳成山が木々の合間から見える。


         
畝傍山山頂(標高199.2m)                          山頂から眺める耳成山
 


 
畝傍山山頂から西方の金剛山(中央左)と葛城山(右側)を望む


 帰りは、南側に下るコースを辿る。こちらの道は、登って来たコースとは対照的な、かなり急な道である。
どちらかと言えば、私はこちらの急な直登コースを登りに、緩いコースを下りに選びたい。下り道で何人かのハイカーとすれ違う。健康登山をされている地元の方のようで、簡単な挨拶と言葉を交わす。
  コースの途中、道は右に大きくカーブしてそのまま真っ直ぐ下ると橿原神宮の森に下りて来た。下りた所には、若桜友苑で、太平洋戦争で奮戦した航空母艦瑞鶴と予科錬の忠魂碑が立っている。
  道なりに真っ直ぐ歩くと、県立橿原体育館近くの車道(参道)に出るが、右に折れ、畝傍山に登る前の登山口まで戻り、橿原神宮の北門から橿原神宮に詣でる。
  

  
下山地近くのイトクの森古墳                 橿原神宮拝殿と背後の畝傍山               静かな橿原神宮裏参道

 

   橿原神宮から我が家までは歩いて約半時間の距離。大和三山へは飲まず食わずで辿って来た。帰る途中、ラーメン店に寄り、ようやく昼食に有りつけた。
  たまには地元の低山歩きも楽しいものである。
 

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