日本100名城、日本三大山城
冬の高取城址
(高取山 標高583m)
平成20年2月10日(日) 曇りのち晴れ
いったい、どれほどの石がこの山頂に運ばれ、積まれたのだろうか。日本三大山城の一つ、高取城の石垣。
標高583mの高取山山頂に築かれた高取城は、明治の初めに取り壊され、今は石垣だけが残されている。前日にこの冬一番の大雪が降り、雪が積もった高取城址を歩きたくて、壷阪寺から五百羅漢を経て、本丸まで登ることにした。
五百羅漢への進入道 五百羅漢と遊歩道(右側)
壷阪寺(西国三十三観音霊場第六番札所)から雪が積もった林道を進むと、吉野に抜ける三叉路の手前に五百羅漢への分岐がある。いつもはこの入り口から登るのだが、今回は、そのままもう少し林道を詰めて、上の新しい入り口から辿ることにした。ここからだと五百羅漢まで約150mほどの距離で、道も歩きやすい。
山の斜面に露出した岩に刻まれた仏や羅漢像
五百羅漢は、壷坂寺の奥の院で露出した岩に沢山の羅漢像が彫られている。長い年月で、風化が進んでいるが、かなりの数の仏像や羅漢が一帯を覆い、羅漢像が彫られた岩々の間を縫うように高取城址へのルートが付いている。
雪に埋もれた壷阪門跡 大手門跡から城内に入る
五百羅漢を過ぎると単調な登山道が続く。今日は、天候が回復し、気温も高くなってきたので、頭上の木々から積もった雪の塊や解けた水が落ちてくる。大雪の翌日の気温の上がる日の登山はこの雪の爆弾が怖いのだ。
本丸の石垣
壷阪門跡を通り、石垣の下を回るように進む。大手門跡、十三間多門、十五間多門を入ると、本丸の見事な石垣が現れる。
今日は、雪が多く、城内にはアマチュアカメラマンが一人居るだけで、静まり返っている。
天守閣跡の石垣と杉の大木 本丸に入る門(右手が天守閣跡)
本丸 (中央奥の一段高い石垣が天守閣が立っていた所で三角点が埋まっている)
高取山の山頂に築かれた高取城の本丸は、大小2棟の天守閣と鉛櫓、硝煙櫓を多門櫓と堀によって接続する連立式形態。広さは東西73m、南北64mで地形の変化に対応して築かれている。本丸からは、北西方向に奈良盆地、南方には大峰山脈や台高山脈が見渡せる。
城内の南側に七つ井戸へ下る道がある 七つ井戸の少し上から城址を見上げる
資料を見ると、城内は約10,000平方メートル、周囲約3km、城郭は約60,000平方メートル、周囲約30kmと記されている。おそらく山城では日本一の規模だろう。三層の天守閣、小天守閣を擁し、27の櫓(内、多門櫓5)、33の門、土塀2900m、石垣3600m、橋梁9、堀切5ヶ所とある。
現在、楼閣などことごとく消滅したが、石塁等は旧規模のまま現存している。累々と積まれた石垣を眺めていると、歴史というより、築城時の苦労のほどを感じずにはいられない。よくぞ、この膨大な数の石を標高583mもの高さ(麓との標高差は約310m)まで運び上げたものだ。
帰りは、七つ井戸へ下る。山頂に水が湧くのは不思議だが、七つもの井戸があったからこの名前が付いたのだろう。急な下り道を慎重に下る。工事のために付けられた荷揚げ用のモノレールが設置されているため、少々歩きにくいが、途中から見上げる城跡の風景は、さながら石垣の要塞のようで圧倒される。
七つ井戸の案内板が立てられているが、井戸らしい穴は見当たらない。程なく舗装された林道に下り立つ。 アイゼンの爪が丸くならないように雪の深い所を歩く。頭上から落ちてくる木々の雪解け水に濡れながらゆっくりと壷阪寺まで下った。
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